公園名の由来

八王子市東部地区公園の名前の由来を調べてみました!新しい発見ができるかも!


■ゆざわ・・・大塚ゆざわ公園・上柚木ゆざわ緑地
ゆざわという地名は、天野谷戸の奥の田んぼから温泉が湧いたことからついたという説があります。

■ふきつけ・・・ふきつけ公園
高い場所まで谷戸が入り込んでおり、風が吹き付けることから付いたと思われるが、吹くという言葉には産鉄の名残がある場合もあるとの説があります。

■八幡山・・・大塚八幡山公園
1607年(慶長12年)領主の浜田郷左衛門が、上郷の大塚山上に創建した大塚八幡神社があることからこの名称がついたようです。



■日向・・・大塚ひなた公園・大塚ひなたが丘公園・大塚日向台公園・南大沢日向公園
日向(ひなた)という地名は、農業を行うのに重要な日のあたる時間が1年を通して豊かなものを日向と呼ばれたことから来ているようです。

■日影・・・大塚日影公園・鑓水日影弁財天緑地
日照時間の短い場所につく地名といわれています。

■どんどん・・・大塚どんどん橋緑地
塩釜谷の流れが滝のように落ち、その音が地名になったという説と、板橋が通っており、その上を歩くときにどんどんという音がしたという説があります。



■なかおね・・・大塚なかおね公園
東中野との境に当たる尾根。この尾根をまたいで両村に同名の地名が点在していました。

■竜ヶ峰・・・竜ヶ峰公園
隣接の多摩市にも同名の記載がある。竜の付く地名は切り立った崖を指すと言われています。

■堰場・・・大塚堰場公園
大栗川から堰上げする堰があったことによりついた地名と言われています。



■神明平・・・大塚神明平公園
東谷戸手前の平地にある微高地にあり、神明社があったためと考えられています。

■山下・・・山下こぶし公園
下柚木の旧小名、字名。由木峰の麓にあたる地区のことです。

■富士見台・・・富士見台公園
ふじみだい松木の山の名。現在富士見台公園のある山のことです。 



■峰ヶ谷戸・・・松木峰ヶ谷戸公園
松木の旧小名、小字。かつてはこのあたりまで尾根が伸びており、その高台に切れ込む谷戸がありましたが、山川と切り崩され完全に消滅しています。

■番場・・・堀之内番場公園
番場→馬場 馬の訓練をする場所だったと言われています。

■長谷戸・・・南大沢長谷戸公園
愛宕社の下に入る長い谷戸だったのですが、最近造成され姿を消しました。



■谷戸山・・・谷戸山雲の公園
やとやま堀之内の旧小名、小字。京王堀之内駅付近でかつては丘陵が伸びていました。

■引切・・・堀之内引切公園
ひっきり堀之内の旧小名、小字。大栗川に生えた大竹を切った場所と言われています。

■花立・・・別所花立公園
花立の地名は花を手向ける場所の意味から来ており、この地にも長池に入水した浄瑠璃姫を弔うためにこのあたりに花を手向けたとする伝承から来たと言われています。



■窪田・・・東中野窪田公園
大栗川の屈曲に由来する地名ではないかと言われています。

■梶川・・・梶川公園・梶川緑地
梶川という地名の由来は、大塚日影の多摩町との境に、昔梶川という人がいたことから出た地名と言われています。

■大石やかた・・・大石やかた公園
土豪大石氏が居を構えた跡地、大石館、通称柚木城と呼ばれる文化財指定地があります。
(大石やかた公園に隣接している屋敷跡の西には、伝・大石虎宗の墓があり、その塔の前に、八王子市指定天然記念物のサルスベリ(百日紅)があります。)



■大栗川・・・大栗川公園(3つの説があります)
①大きな栗の木 説・・・昔、鑓水川と中山川の合流する辺りの栗元と所に栗の木があり、実を結ぶ頃には鑓水川に落ちて流れていったことにより、下流を大栗川というようになりました。
(『新編武蔵風土記稿』中山村の項参照)
②真慈悲寺の大庫裏 説・・・昔、宝蔵橋付近に真慈悲寺という寺の大きな庫裏が建てられていた。その傍らを流れるため、大庫裏川と呼ばれるようになりました。
(『武蔵名勝図会』多摩郡之部 巻六 落合村の項参照)
③大くねり 説・・・昔、関戸村に「大庫裏」という小名がありました。川はそこで大きくくねって向きを変えるため、宝蔵橋より下流を大クリ川と呼ぶようになりました。
(相沢伴主(1768生まれ相沢五流長男)著『関戸日記』参照)



 ■板木・・・鑓水板木の杜緑地
『この地域一帯は岩盤の層があり、山の中腹に槍状の先の尖った道具で突いていくと地下水が湧き出てくる。この水を、節を抜いた竹で導き瓶(かめ)などに貯え、飲料水として利用してきた。それを筧(かけひ)と言い、更にこの瓶から水を流れるようにしたものを「遣り水」と言うが、これが鑓水という地名の由来と考えられている。
また、板木という名は、古文書のある古絵図に記されている「伊丹木」に由来する。これはアイヌ語で「きれいな清水が湧き出る所」という意味として伝わっているが、この地には古くはアイヌ民族が住んでいたと思われる。というのは、この地域から発掘された縄文土器の紋様とアイヌ人が現在でも使用している衣装の紋様とよく似ているのが、なによりの証拠と考えられているからである。そして、この「伊丹木」がのちに「板木」に変化したのではないかと考えられている。

(鑓水歴史友の会作成の看板より)



 ■郷戸(郷土)・・・上柚木郷戸公園・下柚木郷戸緑地
上柚木の旧小名。郷土緑地のあるあたり。郷土は「神戸」と書いて同じ読みをする地も見られるように、もともとは神聖な地であるところに多く見られます。

■柳沢・・・柳沢の池公園

柳沢の池公園は、江戸時代に下柚木村の領主であった柳沢氏によってつくられたため池を核とした公園です。



■溜池・・・溜池公園
南大沢溜池公園の解説版には、『南大沢の団地ができる前、この辺りには大きな木が茂り、山すそには清水が湧き出る溜池がありました。この池は真夏の日照りの時でも枯れることがなく、人々はのどを潤したり、谷戸田(水田)の用水として大切にしていました。また、溜池の近くには大きなグミの木(アキグミ)があり、毎年秋になるとたくさんの赤い実をつけました。この公園に植えられているグミの木は、団地の造成工事のときに一時山に移しておいてグミの木です。この公園の名前は、昔の地形にちなんで溜池公園と名付けられました。』とあります。



■九反甫・・・九反甫公園
昔、このあたりには「みの田」とよばれる小さな田んぼがたくさんあったそうです。その面積をあわせると九反歩ぐらいあったので、「クタンポ(九反甫)」と言われるようになったとか。
「田植えを終えて、さて帰ろうかと思い、みのを取り上げたら、その下に田植えの済んでいない田んぼがまた一つあった」というお話が残っているように、田んぼがたくさんある様子を「九」という数字で表し、「クタンポ」と呼ぶようになったとも言われています。また、この地方には昔「サルトリイバラ」というユリ科の植物が多くはえており、薬用として使われたり、丸い葉は、もちを包むのに使用されていました。この植物は「タマンバラ」とか「クタンポ」と呼ばれていたそうで、「クタンバラ」が変化して「クタンポ」と呼ぶようになったとも言われています。



■ 赤石・・・赤石公園
昔、このあたりの道の角に、高さ50㎝くらいの小さな石が立っていました。人々は、この小さな石を赤石と呼んで、石のかたわらに座って休んだり、牛車の引手をかけたり、また道しるべのように大切にしていました。ここに立っている石は、その赤石を再現したものです。また、赤石にちなんで、公園の名前を赤石公園と名付けました。



 ■柏木・・・柏木公園
かしわぎ上柚木の地名。皇国地誌「柏木橋」の項目より。

■秋葉・・・秋葉台公園
 昔この場所に火伏の神を祀る秋葉神社があったことから付けられたのではないかと思われます。